4.東九州編
ドリームつばめ | 91M | 博多 |
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西鹿児島 |
モハ787-2 | 0:06 | 5:54 |
博多からは昨晩同様、ドリームつばめである。昨日の夜とは違い、金曜日の夜なので10分以上前に来ないと座れない状態だった。しかし昨晩同様大牟田でどっと降り、西鹿児島に着く頃には5〜6人ほどしか乗ってなかった。787系で寝るのは、これで通算7泊目になるわけだが、この列車で途中で起きた事はない。普通の座席列車なら途中で起きたり寝付けなかったりするのだが、さすが「走るホテル」を謳うだけある。
西鹿児島では昨日あきらめたお土産を買うことにした。薩摩揚にしたかったが、日が持たないので発送しないと無理のこと。仕方が無いので黒豚豚足の煮込みを買うことにした。
きりしま2号 | 6002M | 西鹿児島 |
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宮崎 |
モハ484-338 | 6:16 | 8:27 |
「きりしま」は「ドリームつばめ」の着いたホームの対面からの発車である。早朝に西鹿児島を発車して、ビジネス時間帯に宮崎に到着するこの「きりしま」の乗車率は20%ほどだった。朝の桜島を見ながら西に向かう。
「きりしま」は、95年春の改正で西鹿児島系統の「にちりん」を宮崎で分断した時に登場した特急である。西鹿児島系統の「にちりん」は4往復だったが、「きりしま」は快速を吸収して6往復体制でスタートした。現在は7往復である。私が九州を乗り潰したのは94年だったので、この時は「ドリームつばめ」と「にちりん」の乗り継ぎをして、大分に向かったりしていた。
都城でそれなりに乗り込みがあり、南宮崎でも乗り込む人が多かった。南宮崎−宮崎間は特急料金不要である。大淀川を渡り宮崎に到着した。
宮崎駅は高架式2面4線構造だが、改札がホームごとに別れている珍しい構造である。東京の地下鉄のように浅いところにあって、ホームごとに改札が違うというのはよくあるが、宮崎はホーム下をコンコースが貫通しているためこういう構造になっている。
ひゅうが4号 | 5074M | 宮崎 |
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延岡 |
モハ484-339 | 9:30 | 10:34 |
宮崎からは「ひゅうが」で日向灘沿いを北上する。「ひゅうが」は宮崎空港始発で、南宮崎からの客を含め50%ほどの乗車率で到着した。宮崎空港には既に、羽田や伊丹からの航空機が到着しているのである。宮崎発車時点では乗車率は60%ほどになった。
「ひゅうが」は、00年春の改正で宮崎系統の「にちりん」の一部を廃止した時に登場した特急である。宮崎−延岡間という同一県内の都市間を結ぶ短距離特急である。宮崎−延岡間はカーブが少なく、高速化改良もされているので、表定速度は意外と高い。しかし全区間単線なので、交換待ちでのタイムロスがネックである。
都農で寝台特急「彗星」と交換するが、客車はわずか3両しかつながっていなかった。利用者がどれくらいいるかが気になる。宮崎からの客のうち40%が南延岡で、40%が延岡で降りた。
延岡では高千穂鉄道に接続するが、今度の高千穂鉄道の列車は展望車を連結しているタイプである。各地から飛行機と「ひゅうが」を乗り継いで、高千穂に向かう観光客を意識した時間帯設定である。この展望車は指定席で、団体客が乗っていた。他社線に乗り入れず、自社線内で指定席をつなげた列車を走らせる第3セクターは珍しい。指定席料金はJRと同じ300円で、乗車日の5日前までに高千穂鉄道に電話することになっている。
にちりん6号 | 5006M | 延岡 |
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行橋 |
クモハ783-13 | 11:32 | 14:42 |
延岡からは「にちりん」で大分県に入る。「にちりん」は一昔前までは「シーガイア」を除いて「レッドエクスプレス」だったが、今年の春の改正で「有明」や「かもめ」に使われていた「ハイパーサルーン」が投入された。なお、「ハイパーサルーン」は「ハイパーにちりん」として90年から博多−大分間を走っていた。しかし、95年に「ソニックにちりん」に置き換えられた。現在、「にちりん」は「ハイパーサルーン」が4往復(含シーガイア)、「レッドエクスプレス」が3往復という体制である。「ハイパーサルーン」の最高速度は時速130キロだが、「にちりん」に運用される時は「レッドエクスプレス」の最高速度120キロに合わせなければならない。また、後述するが、「にちりん」は今年の春から小倉発着になり博多から撤退した。
「ハイパーサルーン」はドアが中央にあるため、客室から前面眺望が楽しめる。3時間以上の長時間乗車ということで、運転室の真後ろに座った。乗車率は50%ほどだった。延岡を出て10分ほどで列車は峠越えに挑む。線形が非常に悪く、特急とはいえ60キロの速度制限をくらう。そのためか延岡−佐伯間の所要時間は20年以上も変わってない。市棚で下り「にちりんシーガイア」と交換し、さらに山奥に入る。大分県に入り、宗太郎を時速40キロで通過した。
佐伯でまとまった乗車があって、3分遅れで発車した。津久見では国鉄色の「にちりん」と交換する。国鉄色が5号に充当されているということから、折り返しの12号に充当されるということがわかる。運のいいことに12号は私が別府を発つ前に別府を通過することになっている。大分には5分遅れで到着、乗客の30%が入れ替わった。遅れにも関わらず、大分で2分の接続する予定の「ゆふ」は待ってくれていた。「にちりん」は大分を6分遅れで発車した。
前述した通り、「にちりん」は昭和40年代に製造された「レッドエクスプレス」のスジに合わせてある。しかし、昭和63年に製造された「ハイパーサルーン」は高速域での加速性能がいいので、遅延回復は容易である。亀川で普通列車を追い抜くが、この普通列車は追い抜かれてからの時間に余裕があるので、後続の「ソニック」への影響は少ないだろう。立石を4分遅れで通過する。立石以南は単線なので、複線区間ですれ違う予定だった「ソニック23号」が交換待ちをしていた。向こうにも数分の遅れが生じている。西屋敷を通過し直線に差しかかると、スピードメーターはついに130キロを指した。そして行橋に到着する頃には、遅れは2分まで縮小した。
行橋は北九州の通勤圏である。小倉までは快速で約20分ほどだが、快速はラッシュ時数本しか運転されない。小倉まではギリギリ25キロなので特急料金は300円である。行橋から福岡まで高速バスの設定があるが、値段的にも本数的にもJRの方が有利である。(4枚きっぷの設定あり)駅の構造は佐賀と同じ2面4線の高架式と思いきや、上りホームの大分寄りに平成筑豊鉄道乗り場があった。また緩急結合はあまりしておらず、下りは5回、上りに至っては1回だけである。上りの副本線は折り返しに使っており、待避は苅田と新田原でやっているのである。
ソニック29号 | 3029M | 行橋 |
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別府 |
モハ885-11 | 15:02 | 15:55 |
行橋からは白い「ソニック」で別府に戻る。白い「かもめ型車両」を使った「ソニック」は00年春の改正から2往復走っていたが、専用車両による白い「ソニック」は今年の春の改正から走り出した。白い「ソニック」導入により、博多発着の「にちりん」を、停車駅そのままで準速達「ソニック」にした。「にちりん」は小倉発着したうえで、停車駅から宇島、柳ヶ浦、宇佐、杵築を削減、準速達型から速達型になり3分スピードアップした。その結果、小倉−大分間では2時間当たりの本数が4本から5本になった。
白い「ソニック」は乗車率50%ほどだった。「かもめ型車両」に5回も乗ったことがあるため、白い「ソニック」はそれほど新鮮味がなかった。今回の旅のメインの一つのはずなのだが。けれども、白に黄色より白に濃い青の方が個人的に好きである。福岡県から大分県に戻り、別府では半数以上が降りた。
ゆふ102号 | 1072D | 別府 |
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大分 |
キハ185-5 | 16:13 | 16:24 |
別府は電留線2本を含んだ2面6線の高架駅である。行橋同様待避は少なく、上りの副本線は殆んど折り返し用である。現に別府に着くと「ゆふ」は既に上りホームの副本線に入線していた。「ゆふ」に乗り込むと客は自分一人だった。別府を発車しても1両貸切の状態だった。短時間乗車だったが、乗客が少なかったため、車掌さんがすぐに来て検札してくれた。
「ゆふ」は通常は博多−由布院−大分−別府を結ぶのだが、この「ゆふ102号」は由布院止で、由布院から先は「ゆふいんの森6号」に任せている。2つの特急を乗り継ぐと特急料金を別々に徴収される。そういう場合、指定席用2枚きっぷを利用すると安く済む。
大分では時間があったので、お土産に関サバの天プラなどを買う。東京に向かう寝台特急「富士」が停車していたが、一部ホームからはみ出していた。大分でさえこの状態だから、日豊本線内は編成すべて入りきれる駅はないだろう。
にちりんシーガイア10号 | 5010M | 大分 |
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別府 |
モハ783-111 | 17:35 | 17:43 |
大分からは、今回の旅で一番のネックとなった「にちりんシーガイア」で別府に戻る。「にちりんシーガイア」は93年の設定当初は「つばめ型車両」での運転だったが、00年春の改正で「ハイパーサルーン」になった。今年の春の改正では「にちりん」にも「ハイパーサルーン」が入ったので、「にちりん」と「にちりんシーガイア」の違いは車両ではなく運転区間になっている。(博多まで乗り入れるのが「にちりんシーガイア」、小倉折り返しが「にちりん」)愛称名の元となった「シーガイア」も倒産しており、次の改正でどうなるか気になる。
「にちりんシーガイア」は乗車率60%ほどで大分を発車した。乗車時間はわずか8分だが、5分後には車掌さんが来てくれたので難なくクリアした。先述した通り、「にちりん」の大分以北の停車駅は速達型だが、この上り「にちりんシーガイア」は宇佐や柳ヶ浦にも停まる準速達型である。そのため、宮崎空港−博多間では途中25駅も停車し、JR特急の最多停車駅数を記録している。
別府では共同浴場「竹瓦温泉」に入る。94年の旅行の時はすぐに見つかったのだが、今回は道に迷った。途中で竹瓦通りという通りをみつけ、そこをたどっていくと竹瓦温泉に着くことが出来た。温泉関係の祭りで街は賑やかだったが、駅のほうは夜7時なのに寂しかった。夕食に駅弁でも買おうと思ったがどこにも売っておらず、JR九州直営のパン屋で夕食を買った。そして上りホームに上がり、国鉄色運用の「にちりん12号」を撮影した。
にちりん13号 | 5013M | 別府 |
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南宮崎 |
サハ783-201 | 19:46 | 23:08 |
別府からは「にちりん」で南宮崎に向かう。上り「ドリームにちりん」に乗るためだが、宮崎と大分の間を1.5往復して効率は悪い。乗車率は50%ほどだった。別府を出ると、すぐに車内販売が駅弁を売りに来て悔しい思いをする。大分では客のほとんどが入れ替わり、車内販売も降りた。大分からの客は佐伯でほとんどが降り、宗太郎の峠越えをしている時の乗車率は20%ほどだった。宗太郎は昼間と違い、真っ暗だった。1時間近くもどこにも停車せず、暗闇の中を走るので、相当退屈である。
延岡では乗車率が40%に回復した。この列車は延岡から宮崎に向かう最終列車である。門川で運転停車して、宮崎空港からの「ホームライナー」と交換する。宮崎が近づくと、雨がどしゃ降りになりだした。3日前みたいに駅などが水浸しになって不通にならないといいのだが。宮崎で最終都城行に接続して、南宮崎に到着する。
ドリームにちりん | 5092M | 南宮崎 |
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折尾 |
サハ783-207 | 23:30 | 5:53 |
南宮崎に着くと雨の降りはさらに激しくなった。私は「にちりん」を降りるとすぐに、上りホームに向かい「ドリームにちりん」に乗り込んだ。客はまだ誰もいなかった。西鹿児島からのディーゼルカーの接続を受けて、「ドリームにちりん」は南宮崎を発車した。大淀川を渡り宮崎に到着すると、帰宅客が乗り込み、乗車率は30%ほどになった。
「ドリームにちりん」は「ドリームつばめ」同様、93年春の改正で夜行急行「日南」から格上げされた列車である。「にちりんシーガイア」同様、設定当初は「つばめ型車両」での運転だったが、00年春の改正で「ハイパーサルーン」になった。
どしゃ降りの雨の中、「ドリームにちりん」は時速100キロ以上のスピードで順調に飛ばした。宮崎県内では終電の役割を果たしているので、夜行列車の時間調整は大分県に入ってからするのである。延岡で帰宅客が降りてしまい、半室の車内は自分一人になった。3度目の宗太郎越えに入る前に眠りにつく。