2002.07.13
■第五章(徳島ほぼ一周)
片原町 |
6:33 |
高松琴平電鉄 |
高松築港 |
6:35 |
1105 |
徳島 |
9:22 |
1013D |
阿波池田 |
10:32 |
キハ185-21 |
宿泊したホテルは、高松駅から歩くと15分以上かかるが、琴電の片原町駅から歩くと5分で済む。しかし、早朝の琴電は本数が少なく、朝一のうすしおに乗るためには高松まで歩く場合より、10分以上も早起きしなければならない。とはいえ、せっかく9年ぶりに高松に来たのだから、早起きしてでも琴電に乗りに行く。
相対式ホームの片原町駅は上りホームに駅舎が接しており、下りホームへは構内踏切を渡ることになる。踏切の警戒音が近づいてくると、瓦町の駅ビルの方から電車が向かってくる。車両は、つい最近まで京王で5000形として活躍していた1000形である。京王5000形は琴電(高松)だけではなく、同じ四国の伊予鉄道、一畑電鉄(島根)、富士急行(山梨)に譲渡された車両である。京王時代の面影を探そうとするが、2分で終点の高松築港に到着した。
高松築港に到着して数分後、旧型車が入線してきた。1両の単行を3つつないだ3両編成で、車両番号は高松築港寄りから62、760、120である。62番は大正2年6月京浜電鉄(現京浜急行)の生まれ、760番は昭和26年3月備南鉄道(後に玉野市営に)の生まれ、120番だけ自社の車両で大正15年10月の生まれである。もう少し待てばよかったなと思いつつ、JRの高松駅に向かう。
琴電で働く昔の都市間電車(高松築港) |
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新しくなった高松駅 |
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サンポートのお土産屋は7時前から開店しており、ここで昨晩食べ損ねたうどんをお土産として買う。新しくなった高松駅は高い屋根を持つ駅舎が特徴だが、ホームは駅舎の前で止まってる。ホームごと高い屋根に吸い込まれるとヨーロッパのターミナルみたいになり、末端ターミナルとして理想だが。
うずしお1号は朝7時台の発車と、5時台発車のいしづち、6時台発車のしまんとに比べ、遅めの発車である。とはいえ、どの始発列車も県庁所在駅に着くのは8時台である。土曜のためかビジネス客の姿はなく、乗車率は3割ほどだった。高松を発車したうずしおは高架を上り、4分で島式ホームの栗林に到着する。まだ高松の市街地だがここで降りた人が一人いた。特急回数券を使っても270円のこの区間、フリータイプの切符を持ってる客かもしれない。
高松の市街地を抜け、屋島では6人ほどの乗り込みがあった。このうずしおは途中9駅も停車し、平均駅間はわずか7.5キロである。急行阿波からの格上げだけではなく、高徳間の都市間需要を高速バスと競り合ってる状況では、高速バスが利用できない中間駅の方が需要が大きいため、停車駅増となった。昼間には志度、三本松停車の最速達便1往復が設定されているが。(→高松−徳島)ふじかわの身延以北は6.4キロだが全運転区間では最短平均距離だと思われる。駅間的には京浜急行の快特に匹敵するが、線形的には横浜以南である。
屋島の次の志度ではキハ47の3連普通を追い抜く。うずしお1号は志度以外では三本松、引田で普通を追い抜き、都市圏私鉄並みの緩急結合である。ただし、三本松で追い抜く普通は引田止で、うずしおは三本松−引田間各駅に停車するのであまり意味がない。この引田止と上りうずしおの交換駅を讃岐白鳥にすれば、引田まで先行できそうだがそうすると徳島行の普通に追いついてしまう。うずしお1号は引田で徳島行を追い抜き、上り普通と交換待ちをするためホームは空いてない。その結果、無意味な緩急結合ができてしまった。途中での下車客は少なく、ほとんどが徳島まで直通した。
徳島では待ち時間が1時間以上あるので、改札を出てぶらぶら歩くことした。よくよく考えてみれば、途中下車したことがない県庁所在地駅は四国ではここだけである。とはいえ、駅の近くには大きな観光地はない。仕方がないのでペデストリアンデッキを昇って、開店前のそごうの周りを散歩した。
駅に向かうとキハ185運用のうずしお6号が入線していた。事務室に貼ってある写真付き時刻表を見て初めて知ったのだが、キハ185運用のうずしおはまだ存在していたのである。このうずしおは牟岐線から来る剣山の接続を受けるが、階段を使っての乗換えとなる。しかも乗換え時間はわずか3分である。短時間の接続は時間短縮につながるが、階段乗換えは特急利用者にすることではない。だからといってうずしおを4番線発車にすると徳島からの客が階段利用になる。うずしおを0番線発車にするのもいいが、これも改札から遠くなる。松山のように1つのホームに並べるという手もあるが、剣山の方が駅の手前で一旦停車することになり、接続時間が短くなってしまう。徳島下車、高徳線直通、徳島線直通、それぞれの需要は把握してないが、何かうまいこと考えてほしいところである。
2000N系によるうずしお(徳島) |
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剣山とうずしおのキハ185並び(徳島) |
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いろいろ考えてるうちに南のほうから剣山3号が入線してきた。牟岐線から徳島線への直通だが、直通客は10人ほどだった。そのうち半分は県庁に近い阿波富田からの客だろうか。列車は2両編成、私が乗った禁煙車は、60席中16席が指定されている半室指定席である。外人の家族連れ2組を含んで、乗車率3割ぐらいになった。
剣山は吉野川沿いに西進。上り剣山4号が8分遅延してるため交換駅が府中から石井に変更になり、こっちが待たされる立場になった。穴吹辺りは市街地が向こう岸に形成されている。キハ185といえども、大した山岳路線ではないので軽快にとばし、阿波池田に到着した。
■第六章(再び瀬戸内海へ)
阿波池田 |
10:41 |
4240D |
琴平 |
11:25 |
キハ54-15 |
琴平 |
11:35 |
38D |
宇多津 |
11:53 |
2203 |
宇多津 |
12:00 |
1013D |
松山 |
14:04 |
2110 |
剣山から高知方面南風へは21分の接続をする。接続時間は長いものの、徳島と高知を結ぶ高速バスには抜かれない。とはいえ乗換え客の姿はあまりなかった。最初は40分以上も岡山行の南風を待つ予定だったが、先行の普通列車に乗ってもこの南風に乗れるので、ゆっくりと普通で県境越えをすることにした。
普通列車は5人ほど乗せて阿波池田を発車、佃で上り南風と交換し、吉野川橋梁を渡ると峠越えに入る。箸蔵で2人ほど乗って、スイッチバック駅の坪尻を通過、琴平到着時には客は10人ほどになった。琴平駅は金毘羅さんの玄関口らしく独特の広い駅舎を持ち、駅舎の前には灯篭が並んでいる。南風までは10分しか時間がなかったため、金毘羅さんへは行けずに駅周辺を見るのが精一杯だった。
琴平から乗った南風8号は、昨日乗ったピンクとは違う青いアンパンマン列車である。乗車率は6割ほど、昨日同様多度津通過なのでその旨の放送がかかる。多度津では観音寺からの121系サンポートを追い抜き、宇多津に到着する。
宇多津では向かいのホームに着くや否や、しおかぜ9号が入線。少し紺色がかったバイキンマン列車を先頭にした5両編成である。そして数分後、高松からのいしづちが2両編成で入線してきてしおかぜに連結した。宇多津からしおかぜ+いしづちの7両編成で松山まで向かい、しおかぜ5両のうち4両がその先宇和島まで向かうという、四国特急独特の運用である。私は松山から先、最後尾になる4号車に乗車した。この車両のメインキャラはクリームパンマンである。
旅行前はオールスター戦の客で座れないことを予想したが、乗車率は7割ほどだった。香川県内の多度津や観音寺で目立った乗降があり、よく晴れた瀬戸内海沿いを走りながら愛媛県に入る。今治では3割ほど降車、その代わりにオールスター戦の観客が乗ってきた。しおかぜ9号は坊ちゃんスタジアム最寄駅である市坪には臨時停車しないので、その旨の車内放送が流れる。松山では何故か2分延の到着、直通車両にも関わらずそれなりに乗客の入れ替わりがあった。松山では切り離しと、宇和海との間隔調整のため10分以上停車する。
■第七章(野球輸送と低床式路面電車)
松山 |
14:31 |
9613M |
市坪 |
14:35 |
7011 |
市坪 |
15:04 |
1064D |
松山 |
15:10 |
2216 |
JR駅前 |
15:43 |
伊予鉄道 |
上一万 |
15:56 |
2101 |
上一万 |
15:58 |
伊予鉄道 |
道後温泉 |
16:03 |
73 |
今度の伊予市行は、しおかぜ9号の停車した向かい、3番線からの発車である。そのため、しおかぜからの降車客とオールスター戦の観戦客が、跨線橋の上り口でごった返すことになった。1番線に向かうとドキンちゃん編成を最後尾にしたしおかぜ22号が停車していた。この列車も宇和島乗り入れ列車で松山では13分も停車する。長時間停車は、併結時間というより単線区間での遅延に対する保険といった感じである。
伊予市行の乗車率は150%ほどだった。千鳥式配置とはいえ詰め込みは効かない。そのうえ、客のほとんどが1駅間の利用のため、ドア付近への集中は大きかった。大きな荷物を持ってる私は、8分後の市坪行臨時電車に乗ることにした。先行の電車が発車する数分前は、改札から離れているせいか客は誰も乗ってこなかったが、短い時間にどんどん人が集まってきた。だが、改札から一番離れている先頭部はほとんど人が乗ってこない状態で発車となった。
松山から4分でオールスター戦会場となる「坊ちゃんスタジアム」最寄駅、市坪に到着した。定期電車の8分続行とはいえ臨時電車からは予想以上の人が降りてきた。市坪は最近まで片面ホームの駅だったが、「坊ちゃんスタジアム」の設置とともに2面2線に改造。球場寄りに線路とホームが新設された。バリアフリー対策のために階段だけではなくスロープもあり、その下でJR四国の職員が切符を回収していた。既存のホームに下り列車が、新設のホームに上り列車が停車するのが基本だが、市坪折り返しの臨時はそうなってない。
坊ちゃんスタジアム |
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市坪(野球)の駅名票 |
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坊ちゃんスタジアムの周りは結構賑わっており、イベント開催時独特の空気が流れる。JR四国がテントを出しており、松山までの切符だけではなく、記念切符も売ってたので購入。記念切符はオールスター戦記念でも坊ちゃんスタジアム完成記念でもなく、市坪駅愛称決定の記念入場券である。市坪の愛称とは「野球駅」と書いて「の・ボール駅」、松山に野球を伝えた正岡子規の幼名、「升」(のぼる)とかかっており、よく考えられている。記念切符には坊ちゃんスタジアムのグランドが描かれており、それぞれのベースには塁にちなんだ入場券が挿してある。本塁には高徳線の特急停車駅「三本松」、1塁にはごめん・なはり線の車両も入るようになった土讃線の「土佐一宮」、2塁には宇和島から4つ目にある予土線の「二名」、3塁には阿波池田から4つ目にある徳島線の「三加茂」、そして投手のところには「市坪」といった具合である。塁を守ってる入場券は路線が別どころが県まで別である。首都圏でこれをやるとしたら、千葉支社管内で「本千葉」「上総一ノ宮」「二俣新町」「南三原」といった感じになるのだろうか。記念入場券には当然「市坪」のスタンパーがついた。
今日はイベント開催日なので、松山−市坪間のチョン行臨時だけではなく、宇和海の臨時停車もある。ということは普段特急が停車しない市坪駅からの特急券が手に入りそうなので、職員に声をかけてみる。このことに職員は快諾し、ホームの下にいた自動発券機を持った職員を呼んで、310円の特急券を発行してもらった。このサービスにお礼をしてると宇和海14号が入線してきた。松山方面の列車なので新設された方、つまりポイント制限をくらう方からの入線である。降車客は予想以上に多く、乗客の半数は降りたのではないかと思われる。宇和海14号は松山でしおかぜ24号の後ろに接続するため、松山到着前に一旦停車した。
坊ちゃん列車に乗るためには、乗車1時間前までに観光案内所で切符を買わなければならない。観光案内所は比較的わかりやすいところにあり、改札外のKIOSKの隣にあった。ホテルのチェックインの時のように「予約したしーさるですけど」と案内所に千円差し出すと、メールアドレスと名前が書かれた乗車確認書がプリンターから出力され、坊ちゃん列車乗車券(一日乗車券を兼ねる)、観光地クーポン券、記念グッズとともに渡された。記念グッズは、オリジナルの布製カバンに入っており、皿やコースターなどがあったがハンカチを選択した。
JR松山駅電停で待つこと20数分、早速坊ちゃん列車がやってきた。だが、これは予約した列車ではない。車輪回りの部品が調子悪いせいか、短い停車時間中に乗務員がちょっとしたメンテナンスをしていた。観光客が4〜5人降り、古町へは1人向かっていった。高知の時と同様に、電停にいた駅員が声をかけてくれた。低床式列車はもう少ししたら来るとのことである。その他、坊ちゃんスタジアムの話、オールスター戦を記念したペイント列車の話をしてくれた。噂をすれば12球団のマスコットをペイントした列車が古町方から来た。そのペイント列車が客を乗せていると、向こうから低床式列車がやってきた。伊予鉄カラーオレンジの上にのってるブラックフェイスが斬新なデザインである。
坊ちゃん列車 |
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伊予鉄道低床式電車 |
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伊予鉄道の低床式電車はハートラムやMOMOと違って、愛称はない。ご当地、夏目漱石の「我輩は猫である」みたいだが、愛称は欲しいところである。JR駅のためまとまった降車があり、ハートラム同様運転席の後ろの席を押さえる。車内はシンプルなロングシートで、運転台の後ろ以外は低床部分になっている。低床式とはいえ単行のため、昨日の2つに比較すると狭さを感じる。内装は、アルナっぽさを感じるが新車にしては斬新さに欠ける。シンプルな構造がたたってるのだろうか。
JR駅を離れた電車は古町に着く。古町の車庫では坊ちゃん列車が点検をしており、乗客の注目を浴びていた。古町では鉄道線に接続する。伊予鉄の鉄道線は15分ヘッドと、中小私鉄の割には健闘している。フリークェンシーは都市圏の近郊区間並みである。低床式電車は住宅街の間の専用軌道を静かに駆け抜けていく。上一万で道後温泉行を待っていると、道後温泉の方からもう1編成の方が向かってきた。
■第八章(しめは坊ちゃん列車)
道後温泉 |
18:05 |
坊ちゃん列車 |
大街道 |
18:16 |
ハー1 |
大街道 |
18:18 |
伊予鉄道 |
JR駅前 |
18:27 |
74 |
松山 |
18:42 |
1026M |
坂出 |
20:55 |
8101 |
坂出 |
21:42 |
5032M |
東京 |
7:08 |
モハネ285-3202 |
道後温泉でひとっ風呂浴びて、お土産を買っても時間があまった。駅に戻ってしばらく待ってると、坊ちゃん列車が松山の方から来た。列車は駅の先にある留置線に入り、機関車だけをはずす。そして、人動で転車した機関車を、人動で移動した客車の松山方に取り付ける。列車は道後温泉駅に進入せずに、進行方向左手にある展示用留置線に進入した。ここでしばしの撮影タイムとなり、観光客がシャッターを押す。
坊ちゃん列車を撮影していると、道後温泉の駅舎の二階に鉄道資料館があるのに気付く。狭い階段を二階へと上がると、狭いながらも昔の写真や路線図のパネルといったものがあった。資料館自体はすぐに飽きたが、洒落たカーテンの間から違った角度で坊ちゃん列車を見ることができた。
坊ちゃん列車は定刻より数分遅れての入線、すぐの発車となった。クラシックな客車は定員18人で、グループ客など10人が乗った。機関車は外観は蒸気機関車だが、内燃機関はディーゼルである。町の真ん中でススや灰を撒き散らすわけにはいかないので、蒸気を動力にすることができなかったのである。そのため、加速するとJRと同じ様なディーゼルエンジンが前から聞こえてくる。当然蒸気より静かだが、かなり違和感がある。車掌が肉声で松山城などの観光案内をした。
坊ちゃん列車は1回につき1駅間しか乗れないのがルールである。つまり道後温泉で乗った客は大街道で降りることになり、大街道から乗ってくる客と入れ替わりになる。このルールがなくても、坊ちゃん列車は市駅に向かうから、JR駅に向かう自分は降りなければならないが。大街道で降りると、坊ちゃん列車の直後にJR駅行電車がドアを開けて停車していた。電車は最初は坊ちゃん列車を追っていたが、坊ちゃん列車は右折して、観覧車付き駅ビルが特徴の市駅へと向かっていった。坊ちゃん列車と離れた電車は大手町の平面交差を通り、JR駅に到着した。
いしづち発車まで10分以上時間があったので、駅弁売り場を探したが全然なかった。改札を抜けてすぐに立ち売りの駅弁売り場があったが、売れ残りの幕の内しか売ってなかった。とはいえ周りに売り場はなく、昨日の高松の事を考えると背に腹は替えられないので、仕方がなく幕の内を買い込んでいしづちに乗り込んだ。
いしづち26号はグループ客が乗り込み、席の半分ほどが埋まった。この時間帯は伊予北条に停車するが、土曜日のせいか乗降はほとんどなかった。今治で1/3が降車、新居浜でも目立った降車があったものの、乗車客は少なかった。川之江では花火大会に直面、わずかな停車時間に夏のひと時を満喫することができた。20時を過ぎると車内販売もなくなり、高瀬や詫間といった無人の停車駅では車掌が切符を回収するとの放送があった。宇多津では前に連結してるしおかぜを切り離すが、宇多津も何と無人駅である。分割要員がいるのに改札は無人というのは面白い。8両から3両という身軽な姿になった列車は、高架スラブを走って坂出に到着した。
坂出駅は思ったより賑やかで、北口のSATYの飲食街は22時までの営業となっていた。早く気付けば昨日も今日も夕食が豪華になったと少し後悔しながら、サンライズ瀬戸を待った。一本後のいしづちでも間に合うが、余裕を持たせるために1本早めた。そのいしづち28号は3分ほど遅れての到着。川之江の花火大会が終了して客が集中したのだろうか。そのため後続のしまんと8号も遅延。両列車の客を受けたマリンライナー64号も4分遅れての発車となった。
サンライズ瀬戸は定刻に坂出を発車。瀬戸大橋を渡る前に、早々とのびのびカーペットの2階に上がる。サンライズは2度目だが、前回はB寝台個室だったのでのびのびカーペットは初めてである。特急料金だけで乗れるのびのびカーペットはかなり簡易的だが、横になれるのは有り難い。姫路を過ぎると意識がなくなり、大阪では目を覚ましたものの、大磯までぐっすり眠れた。坂出発車時は上14スペースのうち3スペースほど埋まってなかったが、横浜到着寸前では9スペース埋まっていた。品川ではウィングエクスプレスと併走、ウィングエクスプレスとは東京駅で7分の接続をする。静岡から海外に向かうのに使えそうだが、トランクを持っての地下ホームへの移動はつらい。そして、サンライズ瀬戸は定刻7時08分、東京駅に到着した。