■九州のニューフェイス編■

2004.03.25



普通 343D 浜田 >>> 益田
キハ126-5 6:48 7:36

普通 2540D 益田 >>> 津和野
キハ47-38 7:39 8:18

 浜田からは朝2番目の列車となる。乗客は7名、浜田の市街地を望みながら西に進んでいく。鎌手でスーパーまつかぜ6号と交換、スーパーまつかぜは減速せずに通過していった。三保三隅以外には大きな流動はなかった。
 益田からは山口線で南下。山口線普通の利用客は津和野への高校生がメインで、ボックスに1〜2人という状況である。

 津和野駅の改札を抜けると、目の前にレンタサイクルを扱っているお土産屋があった。荷物をお土産屋に預け、観光客がいない朝の小京都を自転車で駆け抜けた。レンタサイクルのおかげで、徒歩では間に合わなさそうな森鴎外の生家まで往復ができた。お土産屋に着いたのは津和野発車の7分前だったが。

津和野駅に入るスーパーおき 発車を待つSLやまぐち号(新山口)


スーパーおき1号 1001D 津和野 >>> 新山口
キハ187-1012 9:11 10:12


 スーパーおき1号は米子からの朝一の特急である。自由席の乗客は約30人、5割ほどの利用率だった。山口線内の特急は山陰本線に比べ軽快な走りではなく、地福、篠目などではポイント制限を流して走る感じだった。おき時代と比べ時間短縮はわずかである。三谷で上り2号と交換、向こうの利用率は7割ほどだった。この辺から下り勾配で山口へ向かう。

 山口、湯田温泉では乗客の4割が下車。乗ってくる人は少なかった。新山口では降客の半数が新幹線乗り換え、博多方面と広島方面の割合は半々だった。乗換えコンコースで新幹線乗換え客を観察した後、急いで山口線ホームに戻った。そして、SLやまぐち号を撮影した後、再度新幹線ホームに戻った。

のぞみ1号 1A 新山口 >>> 小倉
527-7 10:23 10:41


 新山口からは最高速度300キロで九州に入る。いくら最高速度300キロとはいえ、自分が起きた頃に東京駅を発車したのぞみに乗るというのも妙な感覚である。のぞみが新山口に停車するようになってから半年も経っていないが、3両の自由席からは30人ぐらい降りてきた。昨年の秋の改正では、大阪・広島対山口だけではなく、山陰対九州の利便性が上がった。というのは改正前のスーパーおきの接続相手はこだまだったが、今回の改正でのぞみになったからである。春休みとあって自由席の利用率は6割ほどだった。

準快速 4333M 小倉 >>> 博多
クハ813-212 10:56 12:05

 小倉から先日デビューしたばかりの準快速に乗る。のぞみは小倉でこの準快速に接続するが、新幹線の車内案内は快速だった。下位種別だから支障はないだろう。駅の列車案内LEDは「準快[スペースワールド駅停車] 10:56 大牟田」だったが、英訳LEDは種別表示されずに「    10:56 Omuta」だった。駅の自動放送も「準快 大牟田行」と略されていた。朝から何も食べてないので、かしわめしを買って準快速に乗り込む。

 乗った車両は前から4両目、乗客は30人以上いた。北九州市内で降客が多かったのは黒崎、折尾、戸畑で、どの駅も客の1/3が降りた印象である。折尾、黒崎は降りた人と同じくらい10人ぐらいが乗車、戸畑と八幡では5人ぐらいが乗車し、折尾時点での車内の乗客数は28名となった。

 折尾から赤間まで各駅停車区間に入る。流動は以下の通りである。
 
 水巻    乗0 降1
 遠賀川   乗7 降5
 海老津   乗8 降0
 教育大前 乗2 降0

 改札口位置の関係もあるかもしれないが、それでも北九州市内の半分に満たない流動である。だからといって普通だけの毎時2本に減便するわけにもいかない。ということで快速のうち毎時1本を格下げして、福北間の都市間需要と北九州−遠賀川−福岡という近距離需要を満たす準快速の設定となったわけである。特急や新幹線が福北間輸送を担う現状では、赤間−折尾間の一般列車需要は同本数の二日市以南以下かもしれない。

 準快速の設定で一番恩恵があったのは水巻−教育大前までの利用者である。遠賀川→博多の場合、50分前後かかっていたのが、準快速に乗ると直通44分となったからである。時間短縮より、博多まで乗り換えなしというのが大きいかもしれない。

 赤間では出口に近いためか10人が降り、乗車はいなかった。この時点の乗客は29人である。隣りのホームには赤間始発の普通が停まっていたが、そちらへは数人が移動した。赤間から先、列車の案内は快速となる。東郷で8人が降りて16人が乗った。

 福間で黄色いソニックを待避する。白いかもめによるソニックは、去年脱線した885系の代替新造との兼ね合いがあるのだろうか。なお、博多方面のソニックは福間で(準)快速を追い抜くが、有明は快速を追い抜かない。小倉方面の待避はバラバラで、海老津で速達ソニックと準快速、折尾で非速達ソニックと快速、八幡で有明と快速といった具合である。

 古賀で8人以上降りたが、筑前新宮で20人以上の乗り込みがあり、乗客数は40人以上になった。さらに香椎で15人の乗り込みがあり、通路まで人でいっぱいになった。新駅千早の乗降は少なかった。

ゆふDX3号 83D 博多 >>> 久留米
キハ182-1001 12:16 12:50

 博多からは再度ディーゼル特急となる。6番線にホームに上がると、ワインレッドのパノラマカーゆふDXが停車していた。ゆふDXオランダ村特急ゆふいんの森シーボルトに続くキハ183−100、第4の転職先である。キハ70やキハ72に劣るとはいえ、キハ185より眺望性は上である。(キハ185も前面眺望に優れているが)シーボルト時代に2回乗ったことあるが、改造されていても面影はある。改造されたことよりむしろ、展望席が全席指定になっただけではなく、200円余計にとられることが大きく違うと感じた。シーボルト時代にワイド周遊券でのんびり過ごした頃が懐かしい。

 ゆふDXは指定席が満席になっているものの、自由席は2割ほどしか乗ってない。観光需要は高く、ビジネス需要は低いということだろうか。最初は順調にとばしていたが、春日辺りから時速60キロぐらいまで減速する。先ほどまで乗っていた準快速が数分前を先行しているのである。二日市では2人が降り、1人が普通列車に乗り換えた。

 準快速は久留米まで先行し、ゆふDXは駅の手前で徐行となる。特に久留米の手前、築後川橋梁では停まりそうになった。その様子は登戸停車の急行に詰まり、多摩川橋梁で停まりそうになるロマンスカーによく似ている。ただロマンスカーと違い、加速性能の悪い国鉄型気動車だから回復は大変である。

準快速の側面サボ(小倉) 由布院に帰って来たゆふDX(博多)

リレーつばめ45号 45M 久留米 >>> 大牟田
モハ787-25 12:57 13:19

 久留米から乗ったリレーつばめの乗車率は8割ほどだった。春休みとはいえ、非速達便でこれだけ利用率が高いのだから少し安心した。駅や車内の放送は鹿児島中央行であることを強調し、新八代行は備考程度だった。瀬高で先程乗った準快速と緩急結合する。

 大牟田に着く頃には雨が降ってきた。折り畳み傘を開かずにコートのフードをかぶり、駅の周辺の様子だけ見ることにして、東口に出た。速達便も停車する大牟田駅は、「大牟田−鹿児島中央 最速86分 特急・大牟田−博多 最速44分」という看板が大きく掲げられていた。駅南部の跨線橋を渡り西口に出るが、こっちにも看板が掲げられていた。西口は三池港へのバスが乗り入れているものの、近辺は住宅地になっている。東口はJRだけの駅舎になっているのに対し、西口は西鉄とJRで共有している。そのため西鉄は、終点駅の割には間借りしている感じで、東武の伊勢崎駅に様子が似ている。

有明11号 1011M 大牟田 >>> 水前寺
モハ787-16 13:40 14:25

 有明の乗車率は5割ほどだった。玉名までは隔駅停車で、6分程度の駅間走行時間でチョコチョコ停車していく。それでも降りる人は少なかった。熊本ではほとんどの人が降り、水前寺方面に向かう人は自分の乗った車両で5人程度だった。熊本からは職員が乗り込み、シートを回転する。武蔵塚では6分しか折り返す時間がないから、余裕がないのだろう。水前寺で武蔵塚に向かう人数を確認したら、後ろ3両で6〜7人ぐらいだった。

 水前寺駅に降りるのは12年ぶりだが、駅の様子は全く変わっていた。以前は広い駅構内に構内踏切で駅舎に渡る感じだったが、今ではエレベータ付の橋上駅になり、駅舎は中層マンションの中に入った。商業施設はあまり入ってないが、熊本市の公共施設は入っていた。

九州横断特急3号 1073D 水前寺 >>> 熊本
キハ185-5 14:36 14:49

 水前寺で九州横断特急を待っていると、来たのはゆふ用の3両編成である。ゆふ2運用のうち1運用は先述のゆふDXとなったので、ゆふに使われるキハ185は1編成で事足りる。それで残った編成は、人吉延長となり運用数が増えた九州横断特急に充当といったところだろうか。でも乗車率が6割ほどであることを考えると、3両編成は有り難い。シーズン中は熊本−阿蘇間を考慮して、ワンマンの2両はあまり走らないと思う。南熊本で九州横断特急用の九州横断特急と交換する。

リレーつばめ47号 47M 熊本 >>> 新八代
モハ787-9 14:52 15:12

 熊本駅の豊肥本線ホームは櫛形構造で、先端部分は駅舎と1番線に続いている。下りリレーつばめは1番線から発着するので、わずかな時間にも関わらず乗り換えはかなり楽である。リレーつばめの乗車率は5割ほど、平野を順調に飛ばすので表定速度は100キロぐらいになる。それでも新幹線開業後は12分ぐらいまで短縮される。

 千丁を過ぎると減速して連絡線に入る。左側の線路の幅が徐々に広くなる。軌間変換装置である。この軌間変換装置はテスト用には使われるが、実際使われることはなさそうである。新八代駅のホームに到着すると、向かい側には白い車体のつばめが停車していた。リレーつばめのドアが開くと、乗客は次から次へと白い車体に吸い込まれていった。新八代の新幹線ホームから地平のコンコースに降りて、右に出ると橋上駅舎の在来線新八代駅があった。

発車を待つ肥薩おれんじ鉄道(新八代) 水俣駅に残る看板

肥薩おれんじ鉄道 6135D 新八代 >>> 水俣
HSOR-104 15:23 16:34

 在来線新八代駅は2面2線の相対式ホームで、新幹線接続駅にしては珍しい。新幹線の駅をもう少し熊本寄りに移動して、東急の自由ヶ丘みたいにすれば便利だが、新幹線コンコースが分かれてしまう。肥薩おれんじ鉄道はここ新八代まで乗り入れ、熊本寄の留置線で折り返す。新幹線全通後は、肥薩線普通も新八代や熊本まで乗り入れて欲しいところである。熊本まで乗り入れれば三角線と共通運用ができる。

 肥薩おれんじ車両の前面方向幕はLEDで「隈之城」「ワンマン」を交互表示していた。車内に入ると人影はまばらで、2両目は誰も乗ってなかった。新八代を10人ぐらいで発車、八代ではほとんどの客が入れ替わり30人ぐらいになった。肥後二見辺りから海が見え、国道の車と並走するようになる。日奈久温泉発車時に不知火海の観光案内が自動放送で流れるが、残念ながら天気は悪い。今度は天気がいい日に乗りたいところである。目立った流動があったのは佐敷ぐらいだった。

 下車駅を稼ぐために、新水俣を過ぎて水俣に向かう。特急停車駅から第3セクターの有人駅となった水俣駅は、寂しく閑散としていた。新八代からの精算ついでに、片道で途中下車可能な「みちくさきっぷ」を買おうとするが、使えるのは明後日からだった。駅構内の出店でじゃこ天を買って、新水俣へ1駅折り返した。

肥薩おれんじ鉄道 6244D 水俣 >>> 新水俣
HSOR-113 16:51 16:55

 新水俣は、新幹線開業に伴い新設された駅である。新幹線開業に伴う新設駅といえば、燕三条、新花巻、佐久平があるがいずれも1面1線の駅である。ところがこの駅は信号所からの格上げのため、島式構造の1面2線である。定期列車の交換は無いが、土休日運転の快速は交換する。島式ホームの幅員は2メートルぐらいしかなく、川内寄のスロープを降り、上り線路を構内踏切で横切ると、新幹線コンコースに通じる構造である。

 新幹線の新水俣駅は、博多方面が島式になっている2面3線構造である。博多行は本線である12番線を使うのが基本だが、副本線である11番線を使うのが5本ある。(36号、42号、56号、58号、66号)ホームに上がって数分後、つばめ17号が下り線を通過していった。

 新幹線が海側になっており、海側出口の駅前広場は整備されていた。駅前広場は国道3号線に面しており、水俣市街や大口方面へ向かうバスが乗り入れている。人影は少ないものの、タクシーが7、8台停まっている様子は新幹線駅らしい。肥薩おれんじの駅の山側には駐車場があり、そこでパークアンドライドができる。

直線デザインが新幹線駅らしい新水俣 新幹線コンコースに通じる構内踏切

肥薩おれんじ鉄道 6139D 新水俣 >>> 出水
HSOR-110 17:12 17:44

 新水俣から乗った列車は、水俣で6分の時間調整をした。ふとホームの方に目を向けると、自動販売機に「肥薩おれんじ鉄道ジュース」があったので、迷わず購入。6種類の柑橘類が入っているミックスジュースである。鉄道関係の飲料というとJR東日本の大清水が有名だが、第3セクター関係は珍しい。袋を出ると間もなく、熊本県から鹿児島県に入る。海岸線近くを走っているはずだが、山の中を走っているようである。

 出水は新幹線が山側にある構造である。肥薩おれんじ鉄道は2面3線構造で、八代方面、川内方面とも駅舎寄の1番線を使うのが基本である。2番線は八代方面、川内方面ともに3本ずつ使い、3番線は川内方面4本が使う。始発かどうかでは決まってないようである。鹿児島本線時代の駅舎は閉鎖されており、その八代寄に肥薩おれんじ鉄道の小さな駅舎があった。駅前ターミナルはそのさらに八代寄にあり、新幹線コンコースに通じる東西連絡通路に面していた。肥薩おれんじ鉄道の2・3番線は東西連絡通路に直接つながっており、ホーム上に自動券売機があった。

 東西連絡通路を降りると、鹿児島中央寄りに新幹線コンコース、新八代寄りに観光案内所「飛来里」があった。さらに新幹線側の出口に出るが、駅前広場は整備されているものの何もなく、タクシーは1台しか停まってなかった。人影もなく寂しいが、武家屋敷をイメージしたデザインは斬新である。新幹線駅は高架の相対式ホームというポピュラーなもので、ガラス張りのホームからは市街地を一望できる。下りホームにいたら、目の前をつばめ19号が通過していった。

 肥薩おれんじ鉄道の駅舎に戻ると、窓口は閉まっていた。車両基地の最寄駅で運輸部はあるものの、窓口業務は18時で終了する。

肥薩おれんじの出水駅と閉鎖された出水駅 新幹線口は武家屋敷をイメージ

肥薩おれんじ鉄道 6347D 出水 >>> 川内
HSOR-106 18:16 19:34

 出水から乗った列車は始発で、乗客は2人だけだった。野田郷で交換待ちのため7分停車、電気機関車に牽引された貨物列車が減速しないで通過していった。この辺から段々暗くなっていき、阿久根に着く頃には真っ暗だった。阿久根で交換した列車の後側はイベント列車「おれんじちゃん」で、車両一面におれんじのキャラが描いてあった。

 列車は暗闇を最高速度100キロで南下していく。昼間は海が見えて奇麗だが、夜は何も見えず本を読むしかない。終点のひとつ前、上川内でまたも貨物との交換待ちで7分停車。改正前より普通列車より貨物列車が優先だったのだろうか。川内到着時の乗客は10人、運転士から乗車証明書をもらって、前側に停車しているJRの列車へと乗り継いだ。

普通 2471M 川内 >>> 鹿児島中央
クモハ475-29 19:38 20:28

 川内からは817系と思いきや、475系だった。夜の逆方向とあって乗客は2人ほど、途中駅の乗降もほとんどなかった。もう暗くなってしまったので鹿児島中央駅の様子を見ずに、宿泊地である天文館へ急いだ。